株式会社ict4e 原 秀一 代表 スペシャルインタビュー ②


アップロード:2020年8月6日


スワヒリ語ゼロからのスタート、教室はマーケット


 

私は2年間ウガンダに協力隊として行って、だいぶ疲労困憊して帰ってきたんですけど、(原さんは)どちらかというとポジティブに楽しくて充実感のあるような2年間を過ごされたのかなって印象…


いや、そんなことはないです(笑)

職業訓練校っていろんなエンジニアや先生がいる所に、ポンと外国人として入るじゃないですか。

やっぱり最初は先生方も生徒も“何だあいつ”って感じなんですよね。

一番苦労したのは、当時25歳で組織を知らなかったことですね。外国人ということもあって、校長先生でも簡単にアポイントは取れるんですよ。でもアポイントが取れるからって、僕の話がすぐ通じる、提案が簡単に通るわけでもないですし、そもそも組織を無視していますからね…

組織を知らずに結構バタバタした時期があって、時間の経過とともに学校ってこういうシステムだから例えば同僚と一緒に提案しなきゃいけないとか、プロポーザル書くとか、休みも勝手に取っちゃだめだとか、そんなことを苦労しながら学びました。


なるほど。

提案が簡単に通らなかったという点で、その要因の一つに言葉の壁があったと思うんですけれども、活動していくなかで、言語的な苦労はありましたか?

私もタンザニアに一度出張で行ったことがあるんですけれども、語学の部分がすごく苦労して、街中を歩いている人たちもスワヒリ語がかなり強いなといった印象を持ちました。


言葉の苦労もだいぶありましたね。

協力隊は派遣前に約2か月間の語学訓練を受けるんですけど、僕はそこで英語だったんですよ。

タンザニアに派遣される協力隊員の訓練言語は、大まかにいうと村に入る人はスワヒリ語、学校配属の人は英語っていう分け方をしていて、それでスワヒリ語ゼロでタンザニアに入りました。

それで、どうやってスワヒリ語を覚えたかっていうと、マーケット(市場)に行って売り子さんに

『ジャガイモちょうだい』

とか言うんですよ。そしたら“ジャガイモ”って発音が出来るまで現地の人たちは面白がって言い返してくるんですね。ビトゥングとがビヤジとか。

こんな感じで何回もレスポンスして覚えていきました。


 

なるほど。

帰国の時には苦労せずに話せるようになったんですか?

 


そうですね。

今でも現地に行けば値切り出来るくらい覚えているので、生活上は使えるようになりましたね。


現地語が出来るとすごく大きいなっていうのは僕も感じていて、

私が2年間住んでいたウガンダは元イギリス領なので、英語が比較的通じる国ではあるんですけど、元々はガンダ王国とかいろんな王国がいくつかあった土地で、現在もその当時の言葉もまだ残っているんですよね。そういった言語が話せると現地の人たちと一瞬でフレンドリーになれるので、現地の言葉が喋れるって活動していくなかで大きいのかなって感じますよね 


 

楽しく生活するうえで大事だと思いますね。

 



9年間アフリカを忘れたのちに起業へ


そうですね。

協力隊としての任期を終えられて、日本に帰ってきましたと。

帰国後すぐにict4eという会社を立ち上げたんですか?


いえ、僕は9年間アフリカを忘れてまして(笑)

普通にインターネット系の会社で仕事をしていたんですよ。

そして2013年にその会社を退職することになって。次のことを考える前に辞めたので、どうしようかと思って色々考えている時期にふとタンザニア時代の友人に連絡を取ってみたら、

『時間あるなら遊びに来いよ』

といってくれて、

それでこれまでに訪れたことがなかったケニアとウガンダ、そしてタンザニアの3ヶ国を回るツアーに自分で行ったっていうのが、アフリカに戻ったきっかけですね。


 

会社をご自身で立ち上げようと思ったきっかけは何かあったのですか?


会社は…

簡単に言えば、会社自分でやってればスケジュール自由じゃないですか()

休みも出張するのも自由なんで、アフリカもまた行けるかな?と思って、そんな軽い動機で会社を始めました()


 

まさかそのような動機であったとは…()



AFRICA DREAM SOCCER TOUR との出会い


 

原さんが代表を務める株式会社ict4eには、AFRICA DREAM SOCCER TOURがスタートした201712月からパートナーとして応援して頂いていますが、ここで改めてパートナーになった経緯をお伺いしたいなと思います。


はい、経緯ですね。

実はいま日本て、アフリカの学生を日本の大学に招いて学ぶ機会を提供していて、今日までの6年間で1,000名以上の方が来日されています。

今日参加してくれいているEmekaさんはそのうちの一人ですね。

彼は法政大学に通う優秀な学生です。


 

それはABEイニシアティブ(※)の一環ですか?


※アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ「ABEイニシアティブ」-JICA

https://www.jica.go.jp/africahiroba/business/detail/business03.html

そうです。

そのABEイニシアティブのプログラムで、学生とのマッチングイベントがありまして、神戸のイベントで二村さんとご一緒したっていうのがパートナーのきっかけですね


そうですね、

そのイベントではアフリカに関連のある企業は無料でブースを出すことが出来て、ABEイニシアディブで日本に来ている学生さんとインターンシップ等のコネクションを作る目的で開催されたイベントで、ご一緒というかたまたまブースが向かい同士で、目の前に青い不思議な道具を持っている方がいらっしゃって…


 

これのことですね!?


 

はい、話し掛けたらそれが原さんだったっていうのが出会いでしたね。


そうでしたね。

だいぶ懐かしい話になりましたけど、先ほどお見せしたようなロボットや小さいコンピューターを持って行って、アフリカの学生向けにワークショップをやっていました。


はい、そのロボットや当日お持ちになっていた機器についての質問から始まり、いろいろと伺っていく中でお互い元青年海外協力隊だということも分かって連絡先も交換させて頂いて、後日改めて、当時まだ構想段階であったAFRICA DREAM SOCCER TOURについてお話させて頂いたことがきっかけとなって、パートナーとなって頂いたかと思います。

でもあの時はまだプロジェクトも始まっていなかったですし、1年目はサッカー指導とそこでサッカーが上手な子はアカデミーに入れるっていう、あくまでサッカー選手の原石を発見して育成することを目的としたプロジェクトだったんですけど、そんな中でもパートナーになって頂いた決め手は何かあったんでしょうか?


いや、確か当初から二村さんはサッカー以外の選択肢や人材育成の部分の話を僕にしてくれていましたよ。

出会った子ども達全員がサッカー選手になれるわけではない、むしろサッカー選手になれない確率の方が圧倒的に高い中で、せっかく集まってくれた子ども達にサッカーの練習が終わったら『さよなら』っていうはちょっと違うという話を最初に頂いて、そこに僕も近い考えを持っていたといいますか…

僕もプログラミングを習ったら全員がプログラマーになれるとは思っていなくて、むしろならなくても良いとも思っていて、やってみて楽しかったらやればいいとか才能があったらやればいいと思っていたんで。でもこれってもしかして、サッカーを習っている子ども達とプログラミングを習っている子ども達、実はどちらにも才能があったとか、違うところが実はよかったっていうような組み合わせが絶対にあるなと思って、そんなきっかけ作りが出来たら面白いなと思って一緒にやりたいなとお返事させていただきましたね。


なるほど、ありがとうございます。

本当に今仰っていただいた通りで、なかなかサッカー選手ってなれなくて、難しいんですよね。

それに対して、プログラマーになるのって、確率論だけでいうと、本気で目指した子ども達がなれる可能性は間違いなく高いのではないかなと。100m10秒台で走れる必要もないし、身長が180㎝なくても、両足上手に蹴れなくてもよいっていうところでいうと、努力で自分たちの未来を切り開きやすいという部分でプログラミングは非常に可能性があるなと思っていて、そういった想いをほぼ一方的にお話させて頂いた記憶があります。()


 

はい、そうだと思います。

たぶんあの日のイベントで一番楽しい話をしたなって記憶があります()


 

ありがとうございます。

アフリカ出身でも学生でもないのに図々しくいってしまって失礼いたしました()