株式会社ict4e 原 秀一 代表 スペシャルインタビュー ①
アップロード:2020年8月6日
SOLTILO AFRICA DREAM SOCCER TOUR を支援してくださっているパートナー企業の方々、現地でともに活動してくださる現地駐在員の方々、お手本として勉強させて頂きつついつか一緒に活動していきたいと思う挑戦者の方々にオンラインで話を伺っていく、SOLTILO Partner Talkシリーズ。
記念すべき第一回は、当プロジェクト立ち上げ当時からパートナーとして支援してくださっている株式会社ict4e 原 秀一代表にゲストとして参加していただきました!
原さん、本日はよろしくお願いいたします。
早速ですが、原さんご自身と株式会社ict4eについてお伺いしていきたいと思います。
簡単な自己紹介と、無茶ぶりですがアフリカでのご経験が長いと思いますので、アフリカでの武勇伝をよろしくお願いします(笑)
はい、わかりました(笑)
皆さま初めまして、原秀一と申します。よろしくお願いします。
Emekaさん
アサアンテナンクジャ、ハバーリヤーコ
今日はケニアの友人も参加してくれています!
もう20年近く前ですけど、JICA青年海外協力隊(以下、協力隊)としてタンザニアの ICT の教育に関わったのが私とアフリカとの接点です。
社名の“4”は“for”と読んでいただけると伝わりやすいかと思いますが、 IT を全ての人にという意味で付けてまして、 ITを駆使することによって様々なことできるんですけど、どうしても使いづらいというか、いい物に出会うまで時間がかかるので、そういったところを助けていきたいなという思いで付けた社名です。
武勇伝ですが…
出張は弾丸ツアーで行くことが多いんですけど、アフリカで同じ日にアポイントを3~4つ入れたりとかって結構無茶なんですよね(笑)
確か一昨年くらいだったと思うのですが、行きは舗装道を使用した行程を、帰りはショートカットしようと思ってラフロード(未舗装道)を使ったんですよね。そうしたら5日間降らなかった土砂降りの雨が降って、4WDのランドクルーザーがそのまま横に流されまして…
ツアー参加者の中に、その日のうちに飛行機で日本に帰る予定の方が一人いたんですけど、果たして間に合うのか…
大丈夫だったんですか?
ギリ間に合いました。
というようなスケジュールもこなしながらアフリカでの事業も行っています(笑)
素晴らしい武勇伝をお持ちですね(笑)
ちょっと怖かったけど面白かったです。
アフリカだと色々ありますよね、ありがとうございます。
そうしましたら会社のお仕事内容についてもご紹介をお願いします。
はい、職種でいうとコンサルティング業務をしておりまして、
簡単に例を挙げると、ネット通販ビジネスをされている会社さんて、何百~何千万人のユーザーさんに対応するために、軽く1000台以上のコンピューターを裏で扱っているんですよね。
コンピューターって1台だと簡単な作業であっても10台で同じことさせようといった時に10倍の作業が掛かるのでは仕事にならないので、そこをいかに早くやるかとか、膨大な量の顧客情報やセキュリティをどう守るかとか、そういったところを一緒になって考えて解決していくっていうのを国内ではメイン業務としてやっています。
それとともに、こんな感じにポップなキーボードを持ってきたんですけど
かわいい!
ICTのベースにはプログラミングというものがありまして、人が言語でコミュニケーションするのと一緒で、これを使うとコンピューターを自由自在に操れるんですけれども、プログラミングを子ども達にちゃんと知ってもらいたいなと普及活動も行っています。
これも手のひらサイズですけど1個のパソコンなんです。
これにIchigoJam(※)というものを使ってプログラミングして、「これでゲーム作れるよ~」とか、「お父さんが持っているスマホって実はこうやって作られているんだよ~」といったことを教えるPrograming Club Network(PCN※)って活動を友人たちとやっていまして、福井からスタートして全国に仲間がいます。こちらの団体のミッションは“すべての子ども達のプログラミングを届けよう”ってことで、2014年からやってるものです。
IchigoJam とは
手のひらにのせられる大きさの、プログラミング専用こどもパソコンです。
IchigoJamにテレビとキーボードをつなげば、すぐにプログラミングを始められます。
インターネットへの接続や難しい設定は必要ありません。
PCN(プログラミング クラブ ネットワーク)は「すべてのこどもたちにプログラミングの機会を提供する」を理念におくサークル活動です。こどもパソコン「IchigoJam」シリーズをはじめ様々な教材やコンピュータを活用してこども達にプログラミングを体験する場を提供し、ICTリテラシーの向上を図るとともにものづくりへの関心を高め、地域人材の育成に寄与します。
ありがとうございます。
ご紹介頂いたキャリアや起業に至った経緯についてもう少し詳しく伺いたいのですが、原さんは協力隊にいつ頃行かれたんですか?
2002年から2004年の2年間です
ちょうど日韓FIFAワールドカップが行われた年に派遣されたのですね!
協力隊に参加された動機やきっかけはありましたか?
協力隊に行こうと思ったのは…
まあ青二才だったからなんですけど(笑)
2年間働いた後に行ったんですが、その頃は『俺って結構なんでもできるな~』と思っていたんですよ。
だから、会社にいると自分の力量をあまり試せないというか、協力隊に行ったら一人でチャレンジできるなって思ったのと、あとはざっくり海外に行ってみたい、旅行でしか行ったことが無かったので外に出でみたいという、この2つが合わさっての応募となりました。
なるほど。
それでアフリカのタンザニアを希望されたと思うんですけど、なぜタンザニアを選んだのですか?
実はタンザニアは選んでなくて…
応募時はモンゴルとブータンを希望していました。(笑)
そうでしたか…
想定とは違った、いきなりアフリカのタンザニアっていう国で、戸惑いや不安はありましたか?
不安は山盛りでしたね。
当時、英語がほどんどダメだったので、ネットで“タンザニア”とか検索するじゃないですか。
ほとんど情報ないんですよ。(笑)
図書館に行っても、アフリカの本なんて日本語だと全然なくて、不安ばかりの状態ではあったんですけど、なぜかでも行きたいという気持ちだけはあって、そのまま行きましたね。
なるほど。
タンザニアではICT教育に携わっていらっしゃったとのことでしたが、配属先はどのような場所でしたか?
ムトワラという街にある職業訓練校の秘書課の生徒にコンピューターを教えるのが主な業務でした。
地方都市だったので、そもそも、私が住んでた町にテレビが2台
町に2台!?
テレビが2台です!
町にまだテレビが2台の時代で、たまたま行ってから携帯電話が使えるようになりました。
ですのでおそらく市役所とかも含めて街全体にコンピューターが100台無かったと思います。
そんなインフラが壊滅的な状況の街でのICT教育ってどのようなことをされていたのですか?
職業訓練学校の設備を日本政府がODAで支援していて、コンピューターや自動車を整備する機械がしっかりと揃ったところに私たち隊員が入るっていう、どちらかというと恵まれたプロジェクトでした。ですので、機材面は全然問題なく活動出来ました。
なるほど、それは隊員としてはラッキーでしたね。
指導先の職業訓練校って日本でいうと専門学校みたいなイメージですか?
生徒さんの年齢層もやはり20歳前後の若者が中心ですか?
そうですね、専門学校が近いと思いますね。公立の専門学校といったイメージです。
私のいた学校は、小学校卒業で入れる学科と中学校出てから入れる学科の2種類があって、秘書課はタイピングとかコンピューティングがあるので、中学校より後の子どもですね。
配属先に設備が備わっているとはいえ、街にテレビが2台という環境のエリアで生まれ育った子ども達にコンピューターを指導するということで、触れること自体が初めての子たちが多いのではと思いますが、そこでの苦労とかってありましたか?
苦労よりはどちらかというとポジティブな驚きといいますか、僕の今の原動力となる発見がありました。
といいますと?
当時抱いていた勝手なイメージですけど、テレビも無いところから来て、こんなキーボードがカチャカチャと付いているおそらく見たこともないであろう機器を扱えるわけがないというかそんなに上手くならないだろうと思っていたんですけど、だいたい2割くらいは教えて無いことまで出来るんですよね。
例えばwordの機能を3~5個くらい教えただけにもかかわらず、ツールバーから他の機能とか押して試していけば、画面で結果がわかるじゃないですか。それを試行錯誤して教えてないことをやる生徒がどのクラスにもいるっていうのがすごくおもしろい発見でした!